全クリエイティブ人は『ホドロフスキーのDUNE』を見よ!

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DUNEは存在すべき夢だった

久しぶりに映画で強い衝撃を受けた。それも、この世に存在しない作品で。『ホドロフスキーのDUNE』は、何かを作ろうとしているすべての人が見る価値があるドキュメンタリーだ。【以下、ちょっとネタバレあり】

Jodorowsky’s DUNE Trailer

残念ながら、ほとんどのロードショーは終わっているので、映画館で見られるチャンスは限られる。Blu-ray/DVDも、日本版が発売されるまでまだ待たなければならないが、とにかく機会があれば必ず見てもらいたい。
これは、撮影されていない映画の痕跡を追うメイキングフィルムといえる。何よりも、その制作スタッフや予定されていた出演者が、信じられないほど豪華で素晴らしい。原作はフランク・ハーバートによる、壮大なSF叙事詩。ストーリーボードの絵コンテやキャラクターデザインがメビウス。デザイン関係の人やキャラクターアート、マンガ好きなら、彼の絵をどこかで目にしているはずだ。特撮担当がダン・オバノンで、キャラクターやアートにH.R. ギーガー。彼らはその後、言わずと知れた『エイリアン』を初め、世界のSF界で活躍することとなる。

『ホドロフスキーのDUNE』
http://www.uplink.co.jp/dune/


俳優たちも信じられない名前が並ぶ。皇帝役には、シュールレアリスムの大家サルバドール・ダリ、男爵役には映画界からセミリタイヤしていたオーソン・ウェルズ。妖しいキャラクターにミック・ジャガーを充てたかと思うと、音楽担当はピンク・フロイドと来た。監督が思い描いた、ジャンルを超えた当時最高の人選だ。何ともロックスピリット溢れるではないか。
この、どう考えてもひとつにまとまりそうにないスタッフとキャストを、『七人の侍』の主人公島田勘兵衛のように、ホドロフスキーは一人ずつヘッドハンティングしていく。彼はこの映画の中で「戦士(ウォーリアー)」という言葉を何度も繰り返すが、手を変え品を変えの人身掌握術によって「魂の戦士たち」を募っていくのだ。
メビウスによる絵コンテ完成した分厚いシナリオは、巨大な立方体のようだ。人に危害を加えられるようなブロックだ。映画では、このシナリオにあるメビウスが描いた絵コンテを元に、現代のアニメーション効果やカラーを加えた表現として再現される。監督や登場人物が語る声をバックにシナリオ上の台詞が重なっていき、いつの間にか自分で補間して作品として見ているうちにグイグイと引き込まれるのだ。

Jodorowsky’s DUNE
http://jodorowskysdune.com/

しかし、完成していれば『2001年 宇宙の旅』に匹敵するほどの映画になっただろう作品は、資金難のために頓挫してしまう。『DUNE』という異様な存在感を放つモノリスに触れたが最後、人は畏れを感じずにいられない。『制作が頓挫した本当の理由は、資金の問題ではない。そのあまりに先進的な世界観を、当時の映画産業が恐れたからだ。』と関係者たちが語る。やはり、ハリウッドに危害を加えるほどの魔力の塊であった。
世の中を変えるはずだった映像、撮影されるはずだった傑作は、そこに存在するはずだった夢、実現されるべき未来だった。それが消滅し、永遠に失われることにより、本来与えただろう影響よりも遥かに無限の価値を生み出し、『スターウォーズ』や『エイリアン』『ブレードランナー』『マトリックス』の派生に繋がった。死によって、命が燦めくという強烈なパラドックスは、まさに『DUNE』の主人公の姿であり、シナリオそのままであった。

The 25 Greatest Movies Never Made(製作されなかった偉大な映画25本)
http://blogs.indiewire.com/theplaylist/the-25-greatest-movies-never-made-20140325

カルトムービーの巨匠アレハンドロ・ホドロフスキーの名前は、自分の映画体験でも特異な位置を占めている。
昔、福岡市中央区西通り近くに「KINO 1/KINO 2」という、今でいうミニシアター系の映画館があった。『ロッキー・ホラー・ショー』や『オペラ座の怪人』『夢見るように眠りたいも』『サロメ』など、カルト青年の通過儀礼としての時間を過ごしていた。スマートフォンという手のひらに乗る脱出口が無い時代、現実世界から逃避するには、年間会員として確保した街角の暗がりは数少ないシェルターだった。
まさか2010年代中盤に入って、またホドロフスキーという名前に魂を揺さぶられ、遠い映画館まで2度ならず3度も足を運ぶことになろうとは思いもしなかった。他者からもらう勇気に懐疑的な自分ですら、うっかり勇気づけられてしまったほどだ。

特集:アレハンドロ・ホドロフスキー監督
http://www.webdice.jp/dice/series/49/

中でも強烈だったのが、ホドロフスキー監督作品の『エル・トポ(EL TOPO)』であり『ホーリー・マウンテン(The Holy Mountain)』だった。哲学的で難解な内容と精神的にもヤられるエグい映像表現は、健康診断の採血ですら気分が悪くなりがちな私には、あまりにも強烈過ぎた。目を開けているのに視界がホワイトアウトし、耳から聞こえる音が曲がる。まさにあれは、観るドラッグだったのだと思う。
ロックな戦士ホドロフスキー失われた金字塔とはいえ、そのまま作品化されたこの映画を見たかった複雑な気分も感じる。ふと、脚本にレイ・ブラッドベリが参加していたらどうなっただろうとか、現代で監督が声を掛けるならレディー・ガガ辺りだろうか、7時間もの長編大作なら3部作もいい…などと妄想する。どんなつまらない作業でもいいので、自分もこの現場に加わっていたかったとすら思った。

できあがる前に失われたことで、批評すら受け付けない永遠の神話となり得たホドロフスキー版DUNEに対して、手元にあるデビッド・リンチ版『デューン/砂の惑星』が急に色褪せて見える。事実、リンチ自身が「失敗」として語っている。そんな裏事情が分かれば、これはこれで愛おしいけどネ。

David Lynch: Dune & Failure

失敗してもかまわない途中まで進んで頓挫するプロジェクトの多くは、その後の他の予定や人間関係に影を落とすものだ。心血を注ぐほどのことならなおさらだろう。制作(準備)費の償却や権利関係の処理が気になったが、登場人物で当時の製作に関わった人たちは、誰も監督に恨み節の一つでもいうでなく(そういう人選だったといえばそれまでなのだろうが)、屈辱や悲哀と共に今なお愛おしさを感じている様子が伝わる。
監督は、どこまでも人間的な魅力に溢れる人間であり、狂気の映画芸術家であり、そして今なお戦士だ。この作品をきっかけとして、御年84歳にして23年ぶりの映画『リアリティのダンス』を作らせたほどの彼の言動から、まだまだ目が離せない。

『リアリティのダンス』
http://www.uplink.co.jp/dance/

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