『バベル』-言葉で一体、何が分かり合えるのか?

「私は、コミュニケーションにおける問題点を、1つの言葉で捉えたかった」

―アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ

この映画『バベル』を見て、ひとつの光景を思い出しました。

それは、アメリカ出張から帰国する時の出来事です。搭乗口近くにはいつも、募金を募る人がいます。ある時はシスターだったり、スーツ姿のビジネスマンだったり、よく見る光景です。その日もいつものように、余ったドル紙幣とコインを予め財布から出しておいて、浅黒い男性が抱える箱に入れて通り過ぎようとしました。

ところが、その男性は執拗に食い下がって来たのです。
「もっと出してくれ」
リッチな日本人がターゲットなのか、「たったこれっぽっちじゃ、何の役にも立ちはしない」とでも吐き捨てるかのよう、「現金が無ければクレジットカードも使える」とまでまくし立てる始末です。

何度かの押し問答の揚げ句、私も溜まりかねてこう返しました。
『ちょっと待て。善意を金額で推し量って、それを私に押しつけるのはなぜだ? 邪魔な小銭を「捨てる」以上のことを期待してくれるな。ましてや義務なんて!』

どこまで英語で言えたかは疑問ですが、口を開くたびに苛立っていく2人の人間の間には、感謝や満足感の交流は何も生まれなかったのです。その人物の素性はもちろん、箱に入れた金銭の使われ方にも疑念が生まれるほどでした。彼が本当に善意の人間だったのか詐欺師だったのかはともかく、感情に走って自分が伝えたいことを言えたことで、すっきりもしたんでしょう。皮肉なことにそれは、自分の英語でも他人に通じるんだと分かった初めての出来事でした。

お互いの主張がぶつかった結果、辛うじて分かり合えたのは、「あなたとは分かり合えない」ということ。そんな、やりきれない気持ちをそのまま機内に持ち込み、フライトを降りてからもしらばらく残っていました。何気ないちょっとした出来事は、表面積こそ小さかったものの、いろいろなことを喚起して、その後も自分の中に深く留まり続けました。

「言葉で一体、何が分かり合えるって言うんだ?」
この映画は、その問いへの答えに繋がるヒントなのでしょう。菊地凛子よりも、同じくアカデミー賞助演女優賞にノミネートされていた、乳母アメリア役のアドリアナ・バラッザの演技が光りました。