自己責任だから自助だけで解決するのか

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やはり、ことばには、他のことよりも敏感になります。

昨今、世間を賑わせていた柳沢厚生労働相の「女性は子供を産む機械、装置」発言騒動。脊髄反射は自分には合っていないので、しばらく時間を置きながら、ずっといろいろ見聞きしたり、考えたりしてみました。

http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20070210ig90.htm

報道の最初からある違和感を感じていたのですが、実は、今でもそう思っています。それは、論点がちょっとずれている気がするんですね。

生産が消費に追いつかない時、その問題を解決するには消費を押さえるか、生産効率をアップさせるか、または、その両方を調整する方法が考えられることは、素人でも分かります。消費=死だとしたら、生産=生。これは、いかにも「理屈っぽい、男の発想」ですが、クールな比喩で分かりやすい。比喩が、機械がダメで、畑ならいいのか!?いや、そういうことでもない。

むしろ、それに対して感情的なジェンダー論争に傾いている反論の方が、見聞きしていると段々と気分が悪くなります。私が引っ掛かったのは、そういったところではないのです。

私が個人的に違和感を感じたのは、がんばっているのかもしれない人、何らかのサポートが必要かもしれない人、社会的に弱い立場に追い込まれている人に対して、「一人でガンバレ」という無意識の無責任、のようなものです。しかも、国が、です。もし、この発言の無神経さを指摘されるとすれば、そちらの方が大きいのではないかと思いました。

いのちの創造は、機械によって行われているのではない(少なくとも、2007年という現代においては)。であれば、人口の減少という問題に対して、きちんと血の通った対策を打ち出して欲しい。そう思わずにはいられません。

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