「100日後に死ぬワニ」で『背負い言葉だよっ!』と叱られるのを思い出す

しばらく前からちょっとした話題になっている、「100日後に死ぬワニ」。あなたは読んでいるだろうか?
漫画家・イラストレーターのきくちゆうき氏がTwitterにアップし続けている、ワニが主人公の4コママンガだ。人間だったら多分、20代前半ぐらいの若者が過ごす何気ない日常が、周囲の動物たちとのやり取りでほのぼのと描かれる。

ほのぼのテイストながら、衝撃的なのはそのタイトル。そして、マンガの最後に毎回、「死まであとX日」という文字が添えられていること。強烈なインパクトだ。ちなみに、昨日2020年2月9日(日)時点で、スタートから60日経過。
少し前から、タイトルはチラチラ目に入っていたものの、見たことがなかったので、先週一気見してみた。ブームに乗った派生アカウントまで乱造されていたり、反響もポジティブな内容ばかりではなく、『最後を見たくない!』『さっさと死ね!』となかなかのカオスだ。

このマンガを絶賛していたのが、タレントの伊集院光氏。2020年1月27日(月)放送のラジオ番組JUNK「伊集院光 深夜の馬鹿力」で、『すごい発明だ!』と絶賛していた。『世の中のありとあらゆるコンテンツの最後に、「死まであとX日」って付けるだけで、意味が全然変わるから!』と熱く語っていた。この人の観察眼はいつも鋭い。

そこで、ふと思い出すのが「背負い言葉」。そんな言葉は辞書にはない。自分で作った造語だから。それでも、たまに意識する言葉なのだ。

昔、声優の大山のぶ代さんが、初代ドラえもんの声を担当していた現役時代だったか。テレビのインタビュー番組に出ていたのを、何となく眺めている中で、一つだけ記憶に残っている話があった。
それは、「子供の頃、水を無駄遣いしていると、母親から『背負い水だよっ!』といって怒られていた」という話。『人間は、一生の間に使える水を背負って生きているのだから、無駄に使うと早く死んでしまうぞ』という、道徳的な教えだった。

この考えを聞いたとき、なぜか素直に、とても美しい考え方だと深く心に刻まれた。モノを贅沢に使うときに「湯水のように」という比喩で、何の疑いもなく表現されていたはずの時代に、この姿勢はなぜか、道徳や清貧では説明できないニュアンスで、今よりずっと若い一人の男は腑に落ちた。
自分自身が持っているリソースは有限だとしても、必要としている人のところに、必要な残って届ばいい。その限界を人は知ることがないだけなのかもしれない。


さて、現代。
活字離れといわれて、はや幾星霜。新聞は醜い全角英数字を半角にし切れないうちに購読者数を半減させ、雑誌は本体が付録化する甲斐も虚しく廃刊が続き、体験込みでは販売しない紙の書籍は売れず、ディスカウント店に流される年賀状も減る一方だ。
それに対して、メールもメッセージも、他者とのコミュニケーションがとても複雑かつナイーヴで難しいことを証明するに過ぎない。ソーシャルメディアでは無数の文字が高速に飛び交っている。速度は上がったが、解像度はそれ以上に落ちている。
さらに最悪なことに、普通の言葉や表現で意思疎通するつもりのない人たちが、この国を動かしている。
とにかく、至るところで言葉のインフレが止まらない。

もちろんその激流の中に自分もいて、ふと、「背負い言葉」を考えることがあるのだ。
いってはいけなかった言葉や、クドくて無駄だった表現、残さなかった方がいいメッセージ、相手にすべきではなかった問い合わせ、いい加減な約束…。
正しい日本語や適切な表現ばかりでは生きていけないことは、十分承知している。しかし、言葉という貴重なリソースを無駄遣いしてはいなかったか?
逆に、本当に必要なことを、その時、そうすべき相手に、うまく伝えられていたか?はっきり言葉で伝えるべきことを、Slackの一行や怠惰なスタンプで誤魔化していないか?目的や意味、速度ばかり追い求めて、本当に大切な熱やニュアンス、相手への気遣いという重要な解像度を、捨ててしまってはいなかったか?

結局、生きとし生けるワニも人もすべて、二度と充電できないスマホ、電源アダプターから永遠に離れたラップトップであり、命というプログレスバー、流れ続けるタイムラインの進行を止められないのだ。その隙間から、言葉がダラダラと漏れていく。


「100日後に死ぬワニ」は、このままいけば、3月20日(金・祝)に100日目を迎えるらしい。その時、私はどんな感想を持ち、何文字分の命と引き換えに、何を書くのだろう?背負い言葉は、ワニのゴツゴツした背中ではなく、痩せて猫背気味の自分が背負うべきことに変わりない。

と、今日も1,979文字分の命を削って、死まであとX日。