歴史的建築物を探訪!中銀カプセルタワービル見学ツアーに参加した

中銀カプセルタワービル

去年の晩秋、銀座の中銀(なかぎん)カプセルタワービルの見学ツアーに参加しました。高度経済成長期の技術を活かした最先端の暮らしがあって、限られた地域に高密度で凝縮されていた、世界的にも人気の象徴的な建物です。そのコンセプトは、現代にも通じます。しかし、時代の移り変わりで、今やそれが歴史の一部として消えつつあります。

[追記:2021/05/04]ちょっと残念なニュースも聞こえてきましたが、時代の変化を考えるとやむを得ない状況なのかもしれません :'(
名建築・中銀カプセルタワー、築50年を前に「売却」の転機 老朽化の現状と今後、管理組合に聞く: J-CAST ニュース
https://www.j-cast.com/2021/05/02410591.html?p=all

今年の3月頃、長崎の端島(軍艦島)の30号棟で、建物の一部が崩落していたことをTwitterで知りました。私は元々、建築物や廃墟にはちょっと関心があって、軍艦島も今ほど規制が厳しくなかった頃に、上陸見学ツアーに参加したことがあったんです。

諸行無常。人の手によって作られたものの風化は避けられないこととはいえ、何だかヒリヒリする感情を抱きました。これはその後、銀座の中銀カプセルタワービルを見学した時にも感じたことでした。軍艦島のことはまた機会があれば書くとして、今回はこの中銀カプセルタワービルのことをちょっと書いてみます。

中銀カプセルタワービルとは

東京銀座にある世界的に有名な建築物「中銀(なかぎん)カプセルタワービル」。大きな細胞のようなモジュールをいくつも組み上げた外観が特徴的です。また、外観や内装だけでなく、そのコンセプトの先進性などもあって、テレビや書籍、Webでも、国内外を問わず多数紹介されています。軍艦島同様、どこかで見聞きしたことがある人も多いはず。ファンも多くて、何と3Dモデルを作って公開している人もいるほど。

ここで内部を見学できるツアーが不定期に開催されているので、私も参加してみました。

中銀カプセルタワービルの見学ツアーに参加してみた

私が参加したのは2019年11月半ばで、当日は爽やかな秋晴れ。築地市場からも歩いて行ける距離だったので、ぶらぶらと散歩しながら、予定よりかなり早く現地に到着しました。

まずはその外観をじっくり眺めてみますが、例えるのが細胞でなければ、監視カメラか四角い目覚まし時計、おもちゃのブロックとか。ただ、周りには、高層ビルや首都高速が通っているので、よくイメージ写真で見るように、特徴ある建物でも遠くからそれと気づくことはできませんでした。近くまで行って見上げて、いきなりわかる感じです。カメラのアングルが難しい。

防鳥ネットで覆われているので、残念ながら、直接目視できる部分は限られていますが、確かに、どのビルとも違う異様な雰囲気です。見上げれば、エアコンのパイプらしき管が、植物の根のように不規則にありえないほど長く伸びています。

また、所々には、キッチンスペースを増設したと思われる、レンジフードのような出っ張りが自己主張しています。ファサードや裏口、歩道の脇など、至るところが経年劣化で痛んでいるのも否めません。無機物なのに、どこか生命のしぶとさも感じます。

新しいビジネスやライフスタイルのコンセプト

ツアーの途中で、当時の古いカタログをそのまま撮影して復刻されたパンフレットを買いました。タイトルに踊るのが「カプセルマンシオン」の文字。高度情報化や、ワークスタイル・ライフスタイルの多様化、仕事と家庭以外のサードプレイスなど、夢と規模に満ちあふれていた時代の未来は、50年近くを経た現代にも通じます。

このビルの設計は建築家の黒川 紀章で、竣工は高度経済成長真っ只中の1972年(昭和47年)。コンセプトは、ビジネスカプセル—つまり、ビジネスホテル+カプセルホテルという、滞在型ドミトリーです。既存の建物で雰囲気的に近いのは、例えば「ナインアワーズ」や「ファーストキャビン」などの、カプセルホテルやビジネスホテル系でしょうか。

建築工法も非常にユニークで、中央に巨大な支柱を建設し、モジュール化した各居室をフックで引っ掛け、下から順番に東西南北4方向に積み上げていく方式で作られています。

痛々しいほどの老朽化は否めない中銀カプセルタワービル

ガイドは、このツアーを主催するMさん。ご自身が、このビルの数部屋を所有していらっしゃるとのこと。オーナーならではの詳しい話が楽しみです。

ビルは全戸で140戸と、当時としてもかなりの規模です。今も、居住スペースとして暮らしている人や、事務所で利用している会社や個人、別荘のように使っているオーナーなど、さまざまな人たちが利用しているということ。

特に羨ましかったのは、クリエイティブ系の人がここを事務所にすると『打ち合わせしに、そっちへ行ってもいいですか?』という相手の興味から、仕事に繋がることがあるらしいという逸話!賃貸物件もたまに出たり、マンスリーのショートステイもあるとのことで、思わず料金を調べる…

建設から48年も経過している建物は、あちこちの劣化が隠せません。その特殊な構造や維持管理と権利関係からか、メンテナンス会社も管理を諦めた(!)ほどらしく、アスベストという厄介な建材が使われているのも、取り扱いを難しくしている要因の一つ。

すでに給湯設備が壊れてお湯が出なくなっているため、入浴は近隣の他の施設頼み。エレベーターも、いつ動かなくなってもおかしくないという話でした(当日の参加者8人ほどで一杯のゴンドラ内の緊張感たるや!)。東京湾からの潮風による腐食の影響か、あちこちで雨漏りもあるそうです。

各部屋は吊り下げられている構造なので、2019年秋の大型台風では、かなり揺れたとのこと。下を通る配管も、結局はすべて上の部屋を外さなければ交換もできないのが現実とのことでした。

中銀カプセルタワービルとは、茶室であり、船室である小宇宙

部屋に一歩足を踏み入れると、正面の巨大な円形の窓が真っ先に目に入ります。差し込む光が、神々しくすら感じます。

この窓は二重窓になっていて、外側へは開かないものの、内側に大きく開く構造でした。ただ、そのためには、開けるだけのスペースを確保しておかねばならず、ベッドなら置けそうですがなかなか厳しそうでした。

部屋は5畳ちょっと程度なので、やはり窮屈な印象は拭えません。確かに現代のカプセルホテルや、ビジネスホテルのような雰囲気です。

壁側には木製の大きなキャビネットが取り付けられています。懐かしのオーディオセットの横の天板を引き出せば、デスクスペースに。ユニットバスとトイレは、他で見られないほどミニマム。現代の航空機や新幹線のトイレ並みです。

円窓や戸棚のあしらい、ドアのアール部分などを見ていると、宇宙船のような、船室のような印象を受けました。ガイドのMさんの解説によれば、『黒川 紀章は茶室をイメージしていた』ということで、一瞬で納得できました。確かに、円窓のブラインドは、障子そのものの装いです。実際に、入居者の中には、和室に改築している方もいるとのこと。

そう考えれば、茶室に住む人なんていないわけで、『あれがない、これが不便』をいうのも筋違いな気がしてきました。『ボロボロになりつつある茶室という小宇宙で、如何に快適に時間を過ごせるか?』を皆さん工夫しているんだと思えば、いろいろなことが納得できます。やっぱり好きかも、ココ<3

茶室であり船室の雰囲気
茶室であり船室の雰囲気

なお、このビルと同じカプセルが単体で、埼玉県さいたま市浦和区の北浦和公園に、屋外展示されているそうです(市のサイトでもほとんど触れられず、扱いも結構雑…)。残念ながら、中には入れませんが、窓と入口から中をじっくりと覗けます。無料で入れるエリアの常設展示なので、こっちの方がゆっくり見られるかも。

時代のタイムカプセル、中銀カプセルタワービル

気鋭の建築家であった黒川 紀章のアイデアは確かに先進的だったものの、技術や材料、法制度が追いついていなかったり、結局はメンテナンス性に課題があったようです。アイデアとしては交換可能だった各ユニットも、交換するにはそれより上層のユニットを一度全部外す(!)しななく、現実には、建設以来、一度も交換されたことはないとのこと。

東京という巨大都市の変化が、あまりにも早過ぎたのもあるでしょう。この時代を先取りした建物が、逆に、周囲が加速度的に変化する中でそのまま残されて、時代のタイムカプセルのような状態で現在に至っているのは、何とも不思議な感覚です。

皆さん、きっと同じことを考えるんでしょうが、私も『もし、今の技術でこのビルを造り直したら…?』ということを妄想しました。長くなったので、それについてはまた別のエントリーで。


中銀カプセルタワービルは、書籍出版のクラウドファンディングを実施していました。興味がある方はぜひ、この続報を追いかけてみてください!