再び縁があって、4月後半から、九州ビジュアルアーツさんでしばらくおしゃべりさせてもらっています。担任や親、取引先でもない私が、20歳前後のいわゆるZ世代・α世代の学生の皆さんの関心をどうやって喚起するか?これは、そんな私の自己学習の振り返りとリスタートの記録です。自分事として把握した課題に対する解決策を、自分を実験台に試している試行錯誤は、記録しておかないと、迷いや成長がすぐにわからなくなりますから。
確かに、私にはトレーニングの経験はあるんですが、企業研修や社会人、個人が対象です。つまり、高校を卒業したばかりの専門学校は、ほぼ未知の世界。彼女や彼らは、子供や下手したら孫ぐらいの世代なわけで、親より上の世代と、考え方や意識が相容れないのは当たり前です。社会人経験もまだないですしね。日頃、子育てや組織内での若い世代の育成経験がゼロの私には、とても新鮮な気づきに溢れていました。
そして、改めて思ったのは、働き方が多様化・多層化し、コロナ禍で先行きがますます不透明な中で、学生だけでなく、社会人も学習をし続けることが重要だという、ごく当たり前のことです。情報教材が溢れ、オンライン授業も増える中で、それぞれのチャンネルのメリット・デメリットは何なのか?組織が人材を丁寧に育成する余裕などない今、システムに置き換えられない存在としての価値を高めるには、自分で自分を勝手に育てていく人になることが重要だと感じています。
人は、自分が教える側の立場になったときに、最も学ぶらしい
元々、九州ビジュアルアーツさんは、I校長先生と私が知り合いという縁もあって、去年の秋に声を掛けてもらったのがきっかけでした。最近、一緒に飲んだりはできていませんが、ありがたや、ありがたや 😛 去年の10月から4ヵ月、関連校である九州スクール・オブ・ビジネスさんの授業で喋らせてもらいました。
kotobatoの業務メニューの一つは、ITや広告制作に関するトレーニングです。テーマは、クリエイティブライティングやコンテンツ制作、アイデア発想、プレゼンテーションと資料制作、Adobe CCソフトウェアの操作、近年はソーシャルメディアのマネージメントなど、さまざまです。主な対象は、組織や社会人、個人です。社会人向けの教育機関としては、デジタルハリウッド福岡校でクリエイティブをテーマに不定期に喋っていましたし、企業が開発・販売しているソフトウェアのインストラクションで、九州各地の自治体を回ったりもしていました。
ただ、教育や指導を求められる立場とはいえ、私には教育者や指導者という意識はありません。学生であれ社会人であれ、自分自身で気づきを得るタイミングは人それぞれで、私は単なるリフレクター(反射板)であり、促進剤なだけ。ラーニングピラミッド曰く、人が最も知識を学習できるのは、セミナーやカンファレンスをただ聞いたり、YouTubeを見聞きするのではなく、自分が他者に教える側になったときですからね。
そんな、私がトレーニングで心掛けている方針はこんな感じです。
- ゴールを目指すのは自分。私はガイドでサポーター、シェルパ、水先案内人。
- 目的やルールは、自分自身で考えよう。答えは常に、問いの中にしかない。
- すべてはリミックス。検索した他者の成功より、自分だけの失敗を貴重な経験に。
- 効率や習慣化は常に意識しながら、今の状況や条件を最大限に利用しよう。
- 正しい知識とユーモアが、自分を救う。他者を助けないと、自分も助からない。
今春から九州ビジュアルアーツさんで担当しているテーマも、前述の内容のカスタマイズ版です。ただし、学生向けだからといって、決して割り引いたりもしていません。その時々のニュースや最新情報のアップデートを交えつつ、対象者が自分事として受け入れやすい見せ方や体験のフックは、常に意識しています。
結局、「教える→教えられる」という関係は全然魅力的ではなく、「自分が自分に勝手に教える」ようになってほしいからなんです。私が、学生さんたちより唯一勝っているのは、『先に沢山失敗してきたこと』だけですから 😉
社会人向けのメソッドが、ほとんど通用しなかった失敗
そんなわけで、まず去年10月から4ヵ月間だけ関わらせてもらったんですが、これがなかなかタフな経験となりました。元々、I校長には『中野さん、社会人向けとは全然違うはずなんで、覚悟しといてもらった方がいいですよ〜』とは警告されていたんですが、いやー、想像以上だったんですよ :'(
限られた期間と接点で、人数も十数人だったので、これがZ世代・α世代の特徴だというつもりは全然ありませんが、大体、次のような教訓を得ました。
- 関心があるのか、理解したのか、反応がほとんどわからない。
- 決してメモを取らない。取るためのツールすら、絶対に用意しない。
- すぐに正解を検索したがる。しかし、検索結果の正確性は疑わない。
- 時間と選択肢を、授業料で買ってもらっている意識がない。
- 本を読まない。ビデオネイティブ。集中できる時間が非常に短い。
- 人前で恥ずかしい思いをすることを、徹底的に忌避する。
いやはや、グラフや数値レポートである程度は知っていたつもりのマーケティング世代分析も、リアルに体験すると強烈ですね。もちろん、批判などではなく、大いなる興味観察の対象としてです。大体、自分が同年代だった頃と比較してどうなんだというと、私の方が遙かにポンコツでしたからw 舐めていたし、醒めていた。気付いていなかった。素直に従わなかったし、感謝知らず。とにかく、酷かった。今ならそれがちょっとだけわかります。
これらの問題に十分対処できなかったのは、もちろん私の失敗です。特に、人前で絶対に恥をかきたくない、自分で判断したくないネガティブなモチベーションが、私の想像を遙かに超えていました。やらずに済ませられるなら、何だってやる!結局、学生の注意関心を喚起できなかったことには変わりないわけで、『相手に伝わったことが、自分が伝えられたこと』だと常々いっている身からすると、強烈なクロスカウンターでした。
4ヵ月の限られた時間とはいえ、もっとブレイクダウンの時間を取るべきだったのでは?もしかすると、記録や学習そのものの習慣がなかったのではないか?理想はそれとして、時間に対する内容がややリッチ過ぎたのでは?…全部のアプローチがダメだったとは思わないんですが、反省材料ばかりがあれこれ浮かびました。
ただ、負け惜しみではないですが、強制リセットされる妙な清々しさ(?)を感じたのも事実。自分がそれまで使って鍛えてきたつもりのメソッドが、有効に機能しないことがわかったことは、貴重な経験となりました。とにかく、世の中の保護者や教員の皆さん、まじ凄いわw
結局は、自分事にできるかどうか
働き方が多様化・流動化する今、20〜30代の社会人が、働きながら自己学習に消費する時間も費用も増えていると聞きます。
社会人向けのトレーニングと、学生向けのそれの決定的な差が生まれる背景は、『リソースを負担しているのは誰か?』だと思います。例えば、企業の組織内研修でも、やらされているので仕方なく参加している人はいます。こういう人は、日頃やろうとしていないのに、研修中だけがんばる振りをする人と同じぐらい無意味です。参加させる側・する側、どっちも不幸。
これが、社会人向けのスクールの場合だと、仕事をしている自分自身で授業料を払い、時間の都合をつけて参加するため、それなりの真剣な緊張感はあります。一旦、真剣かつシビアにならざるを得ないという点では、家庭に入った女性の職業復帰や、夜間(2部)の専門学校生、奨学金を受けて進学してきている人たちも同様です。結局は、自分事かどうか。もう、後がない切羽詰まった状況にあることを、認識できているか。
切羽詰まった自分事といえば、振り返れば私自身がそうでした。
元々、人前に出たり目立つのが大の苦手だった(今もですけど…)私は、人にきちんと説明したり、説得するようなスキルが完全に欠落したまま、「社会人というコスプレ」をやっていました。そのことだけは、はっきり自覚していたんですが、勤め人の間は何とか適当にやり過ごせていました。
その後、フリーランスになってしばらくして、『流石にこのままだと本当にマズいな…』と真剣に感じるようになりました。人付き合いが苦手なのは相変わらず、同僚や上司がいるわけでなし、メンターや目標とする人物像もなく、ソーシャルメディアが広がるずっと前で、本を読んでも身についたとはとても思えませんでした。
そこで、一念発起して、自分で授業料を払って専門の教育を受ける機会を、無理矢理作りました。それが、Appleのトレーナー養成プログラム「Train the Trainer (T3)」です。前年に、ACHDS(Apple認定ヘルプデスクスペシャリスト)という認定資格は取っていましたが、これはMacをある程度仕事で長く使って痛い目に遭っていれば、それなりに取得できる入口のプログラムです。その上級資格に挑戦するために、Apple銀座にまで数日間、受講しに行ったんです。
Apple製品のリセーラー企業ぐらいにしかニーズがない資格でしたが、コストと時間を掛けて自分を追い込む必要を感じていたのは、今にして思えば、まぁ軽く気が狂ってたんだと思いますw その時のボロボロのプレゼンテーションの様子が録画されたDVD-Rは、黒歴史として部屋のどこかに残っています。結局、Appleの認定資格制度自体が日本では2011年に終了してしまいましたが、わざわざ恥ずかしい体験をしに行った経験は、結局は、形を変えて活かされている気はします。
「アンオフィシャル」なポジションを最大限に活かすために
ソーシャルメディアでは、度々、スクール講師の話が話題になります。曰く、『人気がある講師とは、すぐに答えを示してくれる人で、考えさせたり応用力を付ける指導をする講師は、人気がない』のだそうな。わかりやすさや正しさ、コスパ(嫌な単語…)ばかりを重視するのは、インスタントですぐに役に立たなくなる貧しい考え方なのに、人気商売路線も大変だな :'(
私は、教育する側としては「非公式(アンオフィシャル)」「借り物」「ニセモノ」であることを自覚しています。業務メニューの一つにしているとはいえ、凄く得意なことを積極的に実践してきたというわけではなく、自分には苦手なことを消去法で削っていったら、残ったことの一つだった、というだけ。
演出には、もし保護者や教育関係者が見たら、眉を顰めたり首をかしげる点や表現も多々あるはず(通常運転)。しかし、変化の激しい現代において、必要な基礎体力を付け、社会生活に必要なサバイバルスキルを自分事として捉えてもらえるためなら、いろいろな口調や表現を、清濁の区別なく使うなんて当たり前です。
また、ライブトークというエンターテインメント性は意識していますが、受講者は、お客さまやオーディエンス、お友達ではありません。反応をチェックしたりリクエストを募ることはあっても、私が顔色や機嫌を伺うことはないんです。必要なサバイバルスキルだと思えば、徹底的かつ多面的に、何度でも繰り返し説明して、一緒に実践しています。
そして何より、しっかり更新し続けないと、本当にただのニセモノ(何じゃそりゃ?)で終わってしまう危機感は、常に抱いています。今でも、コピーライティングやデザイン関係の本を読むこともありますし、同様に、教育関係の本も時々手にしています。また、非公式だからこそ、いろいろなメソッドやツールを自由に試したり、スピーディーに変えられるメリットも武器として活かしているつもりです。この辺りは、ふなっしーに学ぶべきことが多いなっしー 😀
社会人の皆さんも、どうぞご一緒に!
そもそも授業に使っている資料は、従来から、社会人向けに作ってアップデートし続けている資料をベースにしています。そのため、私が学生さんたちの授業で得た貴重な経験も、組織や社会人向けコンテンツにまたフィードバックされていきます。秘伝のタレ的な意味で、常にアップデートしています。
大体、基礎的なITリテラシーは、本来なら、義務教育の時期に学習すべき重要なノウハウなんですよね。もちろん、学校だけでなく、家庭や地域、サードプレイスを通じて身につけるべき重要なスキル(今の、教育現場でやれるか・やるべきかは、非常に疑問ですが…)。ただ、スマホネイティブ・ソーシャルネイティブな若い層よりも、むしろ社会人の方が危なっかしいことが多いように感じています。組織の公式アカウントがいろいろ問題を起こしたり、いきなりソーシャルネットワークデビューした中高年がやらかすのも、日常茶飯事。
でも、若年層だけを教育するより、大人が自分自身で学習する方が効果的だと思うんですよ。何より、自分事にする方が楽しい。その上で、誰に、何を、どこまで任せるかをマネージメントする。その支援のために、企業や小規模組織、個人の皆さん向けに提供しているトレーニングも、引き続き承っています。
例えばこんなテーマ:
- 学校の国語では教えない、社会に出て必ず使う言語化と文章化の基礎
- ロゴマークが、ただ「何となくいい感じの絵」では意味がない理由
- もしあなたが、組織のソーシャルネットワーク担当者になったら
- クリエイティブのどこは無料でもよくて、どこにコストを使うべきか
- ローカル飲食店が、オンラインでやること・やってはいけないこと
セミクローズドだったコンテンツも、今後、いろいろな学習サービスに登録したり、一般公開していきます。内容も、テーマや対象者、期間によって柔軟な組み合わせが自由です。豊富なプログラムを用意しているので、どうぞお声かけください。ソーシャルネットワークのフォローだけでもしていただけると、とても嬉しいです 😀