
ここしばらく、なぜか沢田 研二が気になって聞いていた。好き嫌いとは関係なく、聞いたことがあったはずだが、改めて聞き直してみると、実は歌手の力量も曲や歌詞を作った人たち、テレビの生バンドで演奏していたバンドなど、リッチな時代でもあったのだなと再認識した。
ちなみに、なぜか頭について離れない音楽を、個人的には『悪魔のメロディー』と呼んできたのだけれど、英語では ear worm(耳の中の虫)というらしい。bugではないのか。
そんな中、歌手の西城 秀樹の訃報が入ってきた。対象としてはちょっとズレてたバッドチューニングだったわけだけれど、自分の音楽ライブラリーにいない昭和の歌謡曲スターとしては、ジュリーと同じカテゴリーか。『ヒデキ、還暦〜!』でフッと笑っていたのは、ついこの間のことだ。
訃報のニュースをいろいろなところで目にしたが、脳梗塞を二度も経て、しかもステージに復帰していたことは知らなかった。呂律の回らない口調で『好きなことばは、青春』と言わせる痛々しい残酷さも、正直なところ辛い光景ではあったが、地味な努力を続けられる不屈の人でもあったのだな。
自分が直接大きな影響を受けたわけではなくても、こうやって少しずつ、時代のアイコンが失われていく。それは、自分が深く愛して止まなかった存在もまた、何れ同じように失われていくのだという、当たり前の悲しみに備えるための静かな儀式のようだ。
歌謡曲番組に釘付けになったりしなかった。バーモントカレーを好き好んで食べる年齢でもなかった。『寺内貫太郎一家』は、見たかったけどそんな環境にはなかった。雑誌の切り抜きを下敷きに入れて、休み時間にワーワー盛り上がっていた女の子達のことも忘れた。
それでも、平成が終わろうとしている今、同じ昭和村に生きてきたビレッジピープルの一人としては、何故かしら、そこはかとない物悲しさを感じずにはいられないのだ。村の草原で寝そべっていて耳に忍び込んでいた虫が、いつか歌い始めることがあるのかもしれないのだから。