
ここ2週間ほど、とある製品のネーミングで苦しんでいます。今回の記事は、単なる真情の吐露なので、お役立ちにはなりません。なので、読み飛ばしてもらって構いません 🙁
ああでもない、こうでもない。凄く良いと思えても、今ひとつ違うようで、もっと良い名称を思いつきそうで、しかし残り時間もなく。いいなと思って文字列を検索すればすでにブランド名でヒットしたり、ソーシャルメディアアカウントが取得できなかったり。資料を漁ったり、インスピレーションを泳がせてみたり、全く関係ないことをしながら…しかしずっと考え続けて。スラングチェックや、ロゴとしてビジュアル化したときのバランスや、アルファベット/カタカナの関係も重要だし。
名付けといえば、最近の子供の名前に見るいわゆるキラキラネームの傾向。あれ、どうなんでしょうね。その奇抜さはもはや、宝塚のスターやマンションの名前、競走馬すらも凌駕するレベルになってしまったような…。
人が見てさらりと読めない、何かしらのうんちくを垂れないと済まない、時代のふわふわした空気に踊らされたようなネーミングばかり。遠くから眺めている分には非常に興味深いんですが、苦労するのは役所の人や学校の先生だけに留まらない気がします。むしろ、「99」のような番号で管理する方が楽になってしまいそう(ただし、LEVI’S 503のような型番ネーミングも実はありなんですが、それはまた別の話)。
名前って、ブランドやサービス名、人名ほど重要な場合には限りませんが、一旦決まってしまって、聞けば何ということはありません。ただ、この「名付けのために頭と心を使う時間」は非常に重要なんです。単なる型番ではなく、繰り返し呼ばれたり目に入り、そして現代なら検索されることで、人の記憶や印象に少しでも残って、最終的にはサービスや製品の利用だとか、問題の解決—もっと大げさな言い方を敢えてすれば、人を幸福へと導く具体的なアクションの入り口ですから。愛と苦悩は続くのです。
さて、気晴らしのYouTubeと、自分との雑談が終わったら仕事へ戻るよ、Steve。