
『宗教って言うのはですね、簡単に考えると自動販売機みたいなものなんですよ。お金を入れると商品が出てくるように、一所懸命にお祈りすることで幸せが得られる訳です』
知り合いの法事に付き合った時、やって来た僧侶が語る話に真剣に耳を傾ける…振りをする。退屈な中にも、妙に流暢なフレーズがどうも引っ掛かる。
『じゃあ、金を持っていない貧乏人は救われないのかな?』と考える。
自動販売機が津々浦々まで普及している日本では、代金を入れても商品が出てこないことはまずないし、襲われて中の商品と金が盗まれることもない。人間、本当に追い詰められたら、自動販売機を壊して中の商品を盗んででも生き延びようとするさ。
以前は、商品の補充が間違ったのか、缶がパンパンに膨れ上がったホットコークが出てきた友達の話に大笑いしたこともあった。今や、出汁やケーキ、生花、肉まで自動販売機で売られていても、そこに自分が買いたい商品が必ずある訳でもなし。
そんな時に連想したのは、近年、各地に設置され始めている災害対応型の自動販売機のこと。これは、災害時に停電した時などに、代金を投入することなく商品を取り出すことができる仕組みを持つ自動販売機だ。飲み物の自動販売機であれば、緊急時の飲料水確保として貴重な設備になる一方、回線が生きていれば緊急情報を表示する端末にもなり得る。また、AED(自動体外式除細動器)を装備した機械もあると聞く。自動販売機の圧倒的な普及率のこの国において、これは素晴らしいアイデアだと思った。
小銭持つ者なおもて喉を潤す、いわんや持たざる者をや。不毛な自己責任論で追い詰める行為は、結局は自分自身に還ってくるのだ。
何か与えると、それに応じたものが返ってくる―それはそれで分かりやすいけれど、とても機械的かつ打算的。あの坊さんの説明はあれで、本人がもうそのトークに慣れ切ってしまっていたんだろうな。疑問に思ったりすることもない程に。でも、本当に必要な時に、必要とする人には、無償の仕組みがあってもいいんじゃないか。本人の自助努力を枯れさせてしまわない程度に。