生命と安全が最優先な今、ワニ以外をどう売っていけばいいのか?

新型コロナウイルスの影響が日々深刻化しています。東京オリンピック2020も延期されるでしょう。東日本大震災の後のように、命を繋ぐために必要な物資やサービス以外の商品を売りにくい時代になっていくことは確実です。

人々は、自分や家族の命を守ることを最優先に行動し、必需品としての水や食料、医薬品、そしてトイレットペーパーや消毒薬、マスクを買い求めに奔走しています。製造業は物資が入ってこない。販売には労働者がいない。物流もますます逼迫します。
一方、コンサートや演劇、スポーツイベント、旅行、アミューズメント施設は、不要不急として二の次になっています。昨年10月の消費増税を何とか凌いだ飲食店も、今年度末か5月の連休前までに閉店するところが一気に増えるはずです。
閉塞感から、幸福や高級感をテーマにした商材も売りにくくなるはずです。さて、これから商品やサービスを人に届けるには、一体どうしたらいいか?


そんな、パンデミックで世界が大混乱している中、コンテンツのクリエイティブと、マーケティングや販売、広告と広報の課題にシンクロしているのが、マンガ「100日後に死ぬワニ」と、その後の展開です。

「100日後に死ぬワニ」で『背負い言葉だよっ!』と叱られるのを思い出す | kotobato
https://www.kotobato.jp/articles/life/comic-wani-dies-after-100-days-n-save-ur-life-words.html

その商品展開を巡る騒動は、100日目を迎えた連休以降、様変わりしました。経緯はあちこちで話題になっているので、知らない人はまとめサイトなどでも簡単に追えます。私は別に、炎上祭りをワクテカして見物していたのではなく、いつの間にか『何かを発想して作る人と、それを広げたり売る人の関係がどうあるべきか?』として、注目せざるを得なくなってしまいました。しかもテーマは「生と死」。「今」の時代に沿った出来事だと感じました。

個人的な感想でいうと、「100日後に死ぬワニ」のマンガのテイストや内容については、それほど特別な感情を抱いて見てはいませんでした。以前にもブログに書きましたが、確実にやってくるカウントダウンに向けた熱量の高まりという、スキームの勝利だと感じました。
また、その商品販売そのものについても、嫌悪感はまったくありません。ないどころか、全くのフィールド違いとはいえ、何かを作って金に換える商売をしている同じ立場としては、きちんと価値が金で評価されてほしいと願っています。

ただ、売り方の手法やタイミングは、完全に失敗したと思います。コンテンツの売り方というより、売る前のファン(予備群)との信頼関係の築き方を完全に間違えました。
ステマのTwitterアカウントが90以上がタイミングもピッタリでツイートしていたことや、これまた絶妙のタイミングでタイトルを商標登録していたことなども考えると、たとえそれが架空のキャラクターであっても、死というとてもデリケートなテーマを扱うには、あまりに雑過ぎました。公式アカウントがいきなり出てきたとき、『フェイクにしては派手すぎでは?』と感じたほど。遠くからチラチラ眺めていた自分にも、どう見ても「死亡祭り」にしか思えません(そもそも、死はコンテンツなんかじゃないから)。

この問題に関しては、巨大広告代理店がどの程度関係しているのか、していないのかは分かりません。ただ、売りたい人たちは別に中身など関係なく、最高の売り時を逃がさない戦略として、これが正解だと判断したんでしょう。
しかし、それは最悪のタイミングだと、止めるだけの仕組みがチームの中になかったことに、私は諦め混じりの納得のような、複雑で薄ら寒い感情を抱きました。マーケティング的な数字は読めても、数値化できない人の心情の部分をマネージメントできなかった。人を動かすのは、いつも感情なのに。
誰かがどこかで書いていた『まるで、葬式の途中で遺産の話をし出す親戚のよう』という表現がピッタリです。そんな下衆野郎をたしなめる、他の家族はいなかったものか?と思わずにはいられません。


お祭り騒ぎや物事が上手く回っている時には、いろんな人が集まってきます。中には、金儲けや名声だけを求める人たちも混じる。しかし、つらい時も支えてくれたり、側にいてくれる人たちは限られます。
コンテンツなり商品なりを作る人と、それを広げて経済を回していく人とがあまりにも乖離していると、元のコンテンツを大きく毀損してしまいます。それどころか、クリエーターや生産者の評価すら下げてしまうことになりかねません。
作る人と届ける人は、感情や理念の点で、ある程度近くにいる必要があります。それが、社会的・経済的な価値に繋がり、世の中を動かしていくのです。

喪に服す期間や弔いというのは、宗教に関係なく、生きて残され、悲しみと絶望を越えて、それでも生き続けていかなければならない人たちのための儀式であり、古人が編み出した叡智として非常に大きな意味があります。
これから先、日本社会はかなり長い喪の期間に入るでしょう。100日どころではないカウントダウンが、もう始まっています。希望を失わずに、これからできることを一緒に考えていきませんか?