半強制的にテレビを離れていたら、メディアについて考えていた

実はここしばらく、テレビの無い状態で生活しています。元々、スポーツイベントとニュース報道以外のテレビ番組をあまり見なくなってきているのですが、テレビというハードウェアそのものが無いのは初めてです。

うっかり、テレビ受信できないことを忘れていた時の、MLBでの松坂とイチローの対決は、それを見るためだけに、仕事前に車に籠もって車載テレビで見ました。やはりスポーツや映画は、大きくて、綺麗で、臨場感たっぷりな音で視聴できる方が迫力がありますよね。

結局、ここ数日はこんな超変則的なシステムで急場を凌いでいました。

ビデオデッキ→コンポジット信号【コンバータ】FireWireー→PowerBook…La Fonera

ここにDVDプレーヤーやPlayStation 2、MDコンポまで繋がる、怪しいジャンクシステムが構築されました。ワンセグだ、地デジだと言う時代に、大阪日本橋の電気街裏で売られているような超アナログなアジアのカオス的様相を呈しています。はっ、まさかこれがホントのApple TV!?

CNN Headline News

半強制的にテレビ報道から距離を置くことになって感じたのは、ソーシャルブックマークのランキングや、ブログの人気エントリーだけでは伝わらないものが沢山あるという、ごく当たり前のことです。

YouTubeやブログには、真っ先にナマの情報が出てしう傾向が強いように感じます。スピードが速い反面、ソースの信頼性の揺らぎも大きい。対して、従来のマスメディアは、今でも(ある程度の)信頼が得られてはいるものの、メディア自身の苦悩やジレンマ、自主規制の痕跡も垣間見えます。ヴァージニア州で起きた銃の乱射事件のような、社会的影響が大きい報道では特に。

さて、どちらに目や耳を向けるか。欲張りな私には、やはりどちらも必要です。こうやって自主的に手にする情報の多くが、悲しくて辛いニュースになりがちというのが何ともやりきれませんが、目や耳を塞いで知らないふりをするわけにはいきません。