
今年を振り返る時にどうしても思い返すのは、6月のHagexさんのことになってしまう。年が新しくなり、記憶が薄らいでいくからといって、この事件の悲惨さや不条理さは何ら変わらない。
Hagex-day.infoを読んでくださっている皆様へ
http://hagex.hatenadiary.jp/
この事件は、2018年の状況をとても象徴していたと、今、感じている。
一つは、インターネットが終わったという感覚。辛うじて残されていたオンラインのユートピアが完全に終わりを迎えた。匿名の、増幅された暴力的な感情が、さらに増幅されて実名の暴力にまで繋がった。終わることは薄々わかってはいたけれど、ついにはっきり認めざるを得なかった、この感覚がどうしても拭えない。
同じくして、ソーシャルネットワークも終わった。実はソーシャルでも何でもなく、アラブの短い春は、テキストの殴り合いとPV稼ぎのクズビデオ、キラキラフード写真で終わってしまった。SNSは、単なるタバコとパチンコとテレビの代わりに過ぎなかった。
まるで、Hagexさんがインターネットやソーシャルネットワークと一緒に連れ去られてしまったかのようだ。好き嫌いや評価の違いはあれど、ネット上のアイコンのひとつが、その場もろとも消えてしまった。徐々に、そして突然に。
『ほら、言ってた通りでしょ?』
ステージごと自分も消えてしまったマジシャンに、これは演出なのか、予定になかったハプニングなのか、呆気にとられている間に幕は下りてしまった。阿佐ヶ谷ロフトのショットグラスで何か飲みながら、楽屋ネタを聞いてみたいところなのに。
それが叶わなくても、やはりショーは続くのだ。自分が居る場所を、観客席やステージ、楽屋に次々と変えながら。