
今年も、未来をテーマにいろいろな分野の人たちが語り合うトークイベント、Future Sync vol.5に参加した。前回の2014年も非常に刺激的だったが、このタイトルをいただくイベントしては今回が最後らしく、より一層の期待と共に福岡大学のキャンパスへ足を運んだ。
今回も、同じ各時間帯で被る3/4を諦めた中、5つのセッションを厳選した。イベント後のいつものように、落語の五題噺的な脳内補講で、自分が参加したセッション全部を無理矢理ひとつのストーリーで繋いでみるとすれば、こういうことかもしれない。
思考を図式化・可視化して整理する情報のマッピングとは、決して古い地図を上書きするのではなく、レイヤー化していく過去から未来への多層化だ。それを担うスマートデバイスは、モバイルからウェアラブル、さらに人間と融合し一体化していく。それでも、社会的な生き物としての人間の行動に心理が大きく影響することは変わらない。今、自分がいる場所と、これから進む所から見える景色を自分なりのレンズで見つめ、一瞬の輝きを捉えたい。
MEINE MÄNNER WELTEN 我が美少年世界
非美少年側としては、途中で美少年を朱鷺に置き換えて聞いてたぐらいだが、被写体男子の美醜や写真そのものはともかく、大串祥子さんのハラショーなキャリア展開と視点に興味があった。
イートン校、ドイツ連邦軍、近代五種アスリートに嵩山少林寺など、日常から隔離された空間で作り出される一瞬の耽美的世界。男性社会の中の女性、王国に立ち入る異端の旅人、突飛な行動が許される道化を装う立ち回り。異物としての視点は、撮影機材とは違うレンズだったはずだ。
意外だったのは、写真集『美少年論』の出版元が大串さんの地元紙佐賀新聞社だということ。最近、いろいろ攻めているな、SAGA。移住候補地のひとつになり得るか。
古地図で見る福岡市の歴史と街並み
街の気になるネタを掘り下げるブログ「Y氏は暇人」の、山田孝之氏の話。テーマだけなら市民講座風だが、「ブラタモリ」ならぬ「ブラY氏」として楽しんで聞いた。
東日本大震災と津波以降、古地図に記された地名はますます注目を集めている。港湾都市であり、かつての城下町としての過去の福岡を知ることで都市構造の現在を改めて知る、まさに温故知新。やはり、今のGoogle Mapにレイヤーを重ねて、グリグリ見たい欲望を抑えられない。
ウェアラブルからシンギュラリティへ
最近、何かと話題なのがこのシンギュラリティという新しい単語。定義としてはいろいろあるようだが、2045年に人工知能が人間の脳の機能を凌駕する特異点を迎え、「超知能」が生まれることらしい。
神戸大学大学院教授の塚本昌彦氏は、プロフィール写真のままの、ガジェットを装備した見た目が迫力満点だった。ヤバかった。頭部にはGoogle Glass風(またはそのものだった?)ヘッドマウントディスプレイ、Android WearやApple Watchを初めとするウェアラブルデバイスを左右それぞれの腕に合計6つ(!)ほど、懇親会ではスマートフォンを操作していらっしゃった。足首辺りも確かめさせていただくべきだったかもしれない。
数十年来、日常的にデバイスを装着して生活する「ウェアラブルの伝道師」としての、ほんの入口の話ではあったが、個人的に「シンギュラリティなドクター中松」として敬意を表したい。キーワードと共に、先生の活動から目が離せない。
脳がシビれる心理学
私がずっと気になっているテーマのひとつが、人間の心理。コンテンツとコンテクストを上手に組み合わせたストーリーを通して「透明」になり、ブランドと緩やかな信頼関係を築いていかなければ、購買や利用行動に結びつかない。ICTやアドテクノロジー、データマーケティングがどんなに発達しても、受け手が人間である限り心理学的な側面と無関係でいられるはずがない。
九州大学准教授の妹尾武治先生とは、懇親会でも直接話ができる機会に恵まれた。環境などの条件が人の行動や感情に影響を与えるアフォーダンスひとつを取っても、元々、広告表現と密接に関係している。直感や第一印象の話は、マイクロビデオやファーストビューに通じるし、例えば同じ商品の並べ方の意味や、SNSで使うワードと文字数など、心理学的なヒントに溢れている。
議論の可視化が生み出す効果
Tokyo Graphic Recorderという、情報をビジュアル化する手法を広める活動をなさっている清水淳子さん。思考地図を描き情報を整理して深めていく、非常に重要な、しかし実際にはできていない可視化がテーマ。
言語に頼らない整理を経なければ、言語のメリットが活きない。ノンバーバルなコミュニケーションこそが、バーバルを活かすわけで、二元論的考え方はそれこそバーバリアン(野蛮人)だ。これは、常日頃から考えていることだったので、再確認できて興味深かった。社会人にはもちろんだが義務教育から必須だとすら思う。
ただ、先の妹尾先生の心理学の話にも通じるが、綺麗に仕上げたフォーマットやテンプレート、完成度の高いアイコンやクリップアートを使って構成することが最適解とは限らない。脳を、議論を刺激するために、もっと手描きと手書きの機会を意図的に増やして(取り戻して)いくべきだと感じた。何より、ライヴのプロセッシングだ。早速、タブレットではなく文房具を物色したい。
さらに、セッションが終了した後の懇親会では、グラビアアイドルの水着撮影会のような、子パンダを抱える動物好きの人たちのような、大撮影会が繰り広げられていた。注目の的は、Googleが主催する宇宙開発チャレンジ「Google Lunar XPRIZE」に日本から唯一参加しているチームHAKUTOの月面車。踏んでもらっている姿を撮りたくなるのも、十分理解できる。
本番のセッションを聞くことができなかったので、スタッフの皆さんには、恐らく何度も聞かれているだろう話をいろいろ質問してしまった。軽く持ち上げさせてもらった月面車のかなりの重量感は、人々の期待の重さでもあるか。2016年後半の打ち上げが本当に楽しみだ。
ここまで刺激的なイベントでありながら、今回で最後。しかし、未来と今を同期しようとする分野を超えた大小さまざまな活動は、この5年間に確実に増えている。一定の目的が達成されたのであれば、終わりというより形を変えてさらに続き広がっていくことは間違いないのだから、心から祝福しよう。次の未来との、自分とのシンクロも楽しみにしたい。