
映画『さがす』(2022)は、期待を遙かに上回る本当に深く沁みる作品でした。時間を置いて、映画館も変えて2回見に行ったほどですが、他のどれにも似ていない、これほど不思議な感覚を抱く作品は滅多に出会えるものではありません。Webサイトにある連作のグラフィックイメージも素晴らしい仕上がりです。最近、日本映画が特に素晴らしいんですが、『由宇子の天秤』(2020)以来の衝撃でした。
[追記 2023/01/16] 公開1年を記念して、また映画館で再上映されています。配信でもいろいろ見られますが、映画館の大きなスクリーンと迫力の音もいいですよ 😉
【以下、映画を未見の人は視聴した後で読むことをお勧めします】
もちろん、映画の内容は素晴らしかったんですが、それとは別に強く感じたのが、『撮影された場所をちょっと覗いてみたい』という衝動でした。舞台のひとつは大阪府大阪市西成区で、もう一つが瀬戸内海にある島「果林島」ですが、それぞれこの舞台装置が借景としてとても魅力的に機能していました。
ということで今回は、映画評ではなく、デスクトップで少し聖地巡礼をやってみた話です。といっても、2回目に視聴した時もメモを取りながら見たわけではないので、予告編や公式サイトの画像、監督や出演者のインタビュー記事、土地勘がある人の書き込みなどを参考に辿った程度です(パンフレットはあったんだろうか…?)。
混沌の町、大阪西成を歩いてみる
大阪西成は、2回ほどぶらぶらと町歩きしたことがありますが、安宿に泊まって、古い喫茶店や銭湯に入ったりしたことが一度あった程度です。場所の特異性については、昔からいろいろ見聞きするたびに、何となく興味を持っていました。オーケンの本にも出てきましたが、町中に生活保護についての案内や靴盗難の注意書きが溢れているのも、50円の缶ドリンク自動販売機も、初めて見ました。物見遊山で訪れるような場所ではないとはいえ、だからこそ、安全な範囲から肌感覚で体験したい怖い物見たさでした。
確かに、北部九州の古い町辺りで感じるアジアの混沌とはどこか違う雰囲気がありました。高齢化し切って枯れたような東京の千住とも違う。ギラギラと生命力に溢れているでもなく、何もかも諦めきった末にただそこにいる。一方、来訪者には動物的な緊張感も強いられる。
町と人が醸成するあの独特の空気は、忌み嫌ったり軽蔑するどころか、自分と全く異質だとは思えないんです。「浄化」しきれない場末の町の向こうにあべのハルカスが聳え立っている光景は、映画『ブレードランナー』の世界とはまた違う近未来図でした。
今回の映画『さがす』の舞台になった場所をGoogleマップで探したところ、西成地区は急に細くなっている路地がとても多いことを知りました。行き止まりかと思ったら、細くなってもっと先へつながっている。ただ、辛うじて地図上に線が引かれているような細い生活道路は、流石にプライバシーへの配慮でストリートビューのカメラが入っていません。無責任な訪問者に知らせる必要がない、生活のための抜け道がある、ということなんでしょう。
海を渡って、いざ果林島へ
もう一つの舞台が、瀬戸内海に浮かぶ「果林島」でした。架空の島のロケに使われたのが、香川県にある男木島と隣の女木島です(片山 慎三 監督談…道理でマップでいくら「果林島」で検索してもヒットしなかったはず!)。
真っ先に目に付くのが男木灯台です。いろいろ調べてみると、男木灯台の風景は、『喜びも悲しみも幾歳月』(1957)や『めおん』(2009)など、たびたび映画のロケに使われてきたとのこと。また、塗装されていない総御影石造りの美しい灯台は全国的にも珍しく、他には山口県の角島灯台があるだけとか。角島灯台は昇ったことがあったので、懐かしく思い出したり写真を見返したりしましたが、島影が見えない日本海側とは、またちょっと雰囲気も違います。
男木島・女木島へは実際に神戸からフェリーが出ていて、白い船体に赤い縞のラインが特徴的な新船「めおん」も映画に登場します。女木と男木で「めおん」、島は「縞」らしく、なるほど!2021年2月末に、23年ぶりの新船として就航したとのことなので、撮影はその直後だったんでしょう。
また、これはハッキリしませんが、主要キャストの一人が逃亡後に隠れるのが、恐らくこの洞窟ではないかと思います。流石に、中まではストリートビューは入っていませんが、訪れた人が公開している写真を見ると、映画のシーンに登場していたような気がします。
島は手掛かりが少ないので、通りや家の区別が付きませんでした。Googleストリートビューは、背負い式カメラの徒歩で数日にわたって撮影されたようですが、将来、配信やディスクでじっくり見比べない限り、場所の特定は難しいでしょう。そもそも、全ての道が撮影されているわけでもありませんし、斜面の畑からの景色も諦めざるを得ません。
一つ不思議だったのは、『うちの町で映画が撮影された!』という地元の人たちの書き込みが全然見当たらなかったこと。監督曰く、撮影期間を長目に確保する代わりにスタッフを最小限の人数に絞っていたということや、クライムサスペンスドラマというご当地が賑わうようなテーマではないこと、そもそも撮影している時は何の映画なのか、一般の人にはわからないからというのもあったんでしょうね。
映画を見終わった後に、これほどいろんなリソースを漁ったりマップを眺めるのは、『この世界の片隅に』(2016)以来だった気がします。移動したくてもできない閉塞感や、行ったことがないのに懐かしい遠くて近くにあるような土地、越えると戻れない境界線など、いろんな感情で突き動かされた気がします。
現代のテクノロジーで、それまで見ることができなかった世界が見える・見えてしまうことが、本当に幸せなのかどうかは分かりません。それでも結局、私もこうして「さがす」ことに自分から巻き込まれています。
『本当に見つけたかったものって、何やったん?』