Steve Jobsに複雑な感情を抱きながらも 別れには寂しさと感謝を覚えるのだ

S. ジョブズのいない週明け。

最初に訃報を目にしたのは、10月6日(木)朝のツイートでした。数年前から覚悟はできていたとはいえ、一言で悲しいとは簡単に言えない、何とも複雑な気持ちでした。

連休最後で少し仕事が落ち着いたこともあり、自分が最も濃い影響を受けた頃の、Apple Computer(現Apple)社関連の製品やサービス、組織をつらつらと思い出していました。

クラリスワークスにNeXT、AppleLink、Macintosh II、Knowledge Navigator、2.0変換、Dogcow、Newton、QuickTake、Pippin@、UMAX、Cyberdog…。

改めて調べてみると、実はこれら全てが、J. スカリー、M. スピンドラー、G. アメリオという歴代社長が続く、ジョブズ不在の時代のものでした。この頃、Apple Computer社は、魅力に乏しい製品の乱発、供給不足と不良在庫、次世代OS開発の遅れといった、停滞と迷走の真っ直中でした。これは思い返せばそのまま、私自身の混迷の時代でもありました(続行中?)。

この時代より前の古くからのApple信者は、ジョブズ在職時代のLISAやApple II、Macintosh Plusに魅せられた人々でしたし、彼の鮮やかな復活後のMac OS XやiMacは一般に広く知られたところです。

つまり、私がAppleから…というより間接的ながらジョブズから最も影響を受けたのは、彼の過去の幻影と、新しい期待の予兆に挟まれた時代だったのです。

なので、彼がこの世から去ったことに、それほど深い感慨を抱く理由はほとんどないはず。しかし、やはり今もこうしてあれこれ考えてしまうのは、何か大きな喪失感に他なりません。魅了されながらも翻弄され、期待に胸躍らせては何度も裏切られ、それでも信じて着いていく…これを愛と呼ばずして何と呼びましょう。複雑な心境はそのまま、感謝を贈りたいと思います。

Thank you, Steve.  iSad, truly. 🙁

sadmac