先週8月25日(火)夜のイベント「ヨルカラナンデス」で起きたことは、単に残念だっただけでなく、自分が日頃感じていることや、今まで経験してきたことにも通じていたので、メモ的に書き残しておきたい。
このテキストは、そのほとんどを8月25日(火)〜26日(水)に掛けて書いていた。すぐに公開しなかった理由は、まだ微熱を帯びている中で善悪の話をする前に、いろいろな話を聞いてみたいと思ったからだ。一週間経って、関係者の間では、この件は(ほぼ)解決しているようだし、このテキストも、きちんと寝かせた後に編集を加える余裕ができたものの、結局、まとまりのない長文になってしまったが、これで公開しておくことにする。
ざっくりした整理
- 私がライブで視聴していた、ダースレイダーさんとプチ鹿島さんのイベント「ヨルカラナンデス」に、予告されていたゲスト相澤冬樹さんが、酔っ払いすぎてリモート出演できなかった。
- 当然、2人は激怒と落胆。イベントも消化不良で終了。一部の視聴者も不満。
- その後、相澤さんから直接2人並びに関係者や視聴者に謝罪。返金処理など、追加経費も相澤さん負担。2人も了承。(予約購入を含む)視聴者のうち、希望者には返金処理が継続中。
- 私個人は、マネージメントやメディアについて考えたし、まだまだ相澤さんの話を聞きたい!いつかまたこの3人の座組みを見てみたい!!
政治エンタメのYouTube番組が熱い!
新型コロナウイルスの流行以来、私もオンラインビデオの視聴時間がそれなりに増えて、定期放送で見る番組も増えた。その一つが、毎週金曜日の12時からの「ヒルカラナンデス」という、YouTubeライブ。時事ネタを扱うラッパーのダースレイダーさんが、同じく、時事ネタを扱う芸人プチ鹿島さんを迎えて、今の政治状況を鋭く語る無料放送の番組だ。新聞や週刊誌各紙の読み比べや、旬の話題を読み解く指摘が非常に興味深く、見られるときはライブで、そうでなければアーカイブで視聴している。今度の9月4日(金)の放送で21回目を迎える。
この番組「ヒルカラナンデス」は、無料で視聴できるとはいえ、非常に質の高い番組だ。例えば、先週8月28日(金)の安倍首相の辞任会見は、この放送の後だったにもかかわらず、まとめを先に見ているような答え合わせだった。いろいろな魑魅魍魎の世界を多角的に、しかもお笑いのツッコミ混じりで分析してくれる。声援を込めてたまにSuper Chatで投げ銭もしながら見続けている。
6月には、この拡大版ともいえる有料配信イベント「ヨルカラナンデス」も開催された。こちらの方は、無観客の会場がLOFT9 Shibuyaで、第1回のゲストが、ジャーナリストの青木理さん。そして、第2回が先日、ゲストが新聞記者の相澤冬樹さん。地元大阪からのリモート出演…のはずだった。
西成で酔って撃沈する相澤さん…
ところが、相澤さんが、結局、番組に出なかったのだ。
正確にいえば、番組が20:00にスタートして休憩が入り、1時間30分近く経った21:30頃、スマホのZoomに一瞬登場した。しかし、大阪西成でベロベロの状態で、トークとして成立するどころではないまま終わってしまった。端的にいって、「事件」のレベルだった。あそこまで、絵に描いたような酔っ払いらしい姿を目撃することは、あんまりないかも。
相澤さんといえば、間違いなく今年世間の注目を集めている人物の一人で、大阪日日新聞論説委員で元NHK記者。学校法人森友学園を巡る公文書改ざん事件で、改ざんに加担させられて自死した、財務省近畿財務局職員の赤木俊夫さんの手記を、週間文春に掲載した記者だ。その妻 雅子さんとの共著「私は真実が知りたい 」も大きな話題になっている。
この日の「ヨルカラナンデス」も、そんな相澤さんの話を聞きたくて参加していた人が大勢いたようだが、結局、相澤さんが捕まる・捕まらない、トークできる・できないの、楽屋裏バタバタを経て、結局、中継はカットされてしまった。
荒れたLOFT9 Shibuya
当然、プチ鹿島さんは激怒し、ダースレイダーさんも呆れた様子。視聴者としてもなかなか経験のない、何とも後味の悪い時間が流れた。
プチ鹿島さんは、相澤さんの著書を読み込んで、質問したいことを沢山準備してきた。その姿勢は、深い愛以外の何ものでもない。視聴者からギャラと時間をもらい、スタッフや関係者に動いてもらう以上、きちんとそれなりのパフォーマンスで応えたい、芸人の誇りと矜持を感じた。悔しさで、思わず感極まった瞬間は、私も思わず息苦しくなった。
2人とも、あのままでは終わるに終われなかったとみえ(そりゃ当然)、ボロボロの状態ながら、視聴者への返金なり代替イベントについてスタッフと交渉しつつ、何とか深夜まで時間をつなぎ、金曜日の「ヒルカラナンデス」とその先に期待を持たせ、ボロ負けのゲームをクロージングにまで持っていった。
正直、途中でウインドウを閉じようと何度か思ったものの、結局、最後まで通しで全部見守った。しかし、私個人としては、『有料イベントなのに、このザマかよ!金返せ!』といった感情はまったく起きなかった。むしろ、同じ空間にいて、落胆や悲しみ、残念な空気を共有できなかった、いちファンとしての申し訳なさのような気持ちが今もある。アーカイブも、見ようと思えば見られたが、辛い姿は2度は見られなかった。また、「ヒルカラナンデス」で投げ銭して支援したい。
残念だったけれど、怒りよりも…
相澤さんのトークが聞けなかったのは確かに残念だったけれども、不思議とそれ以上の、怒りや恨みのような感情はまったくなかった。ただ、『やっぱりこうなったか…』という、どこか諦めのような感覚も実はあった。
「ヒルカラナンデス」と同じ金曜日、20時からの「メディア酔談」も時々見ている。メディアコンサルタントで相澤さんとは高校の同級生という境治さんと相澤さんとのトーク番組だ。タイトル通り、酒を酌み交わしながら、気心の知れた同士のトークが展開し、相澤さんも酔いと共に呂律も怪しく、声も大きくなっていくことがしばしばあった。べらんめぇ調も楽しく見守っていたし、個人的には、嫌うどころか好きな人種かもなとも感じている。あの日、西成の近くにいたら、多分、探しにいっていた。
相澤さんの言動なり文章から想像するに、彼は昭和の無頼派記者であり、押しの強い猛烈ビジネスマンだ。取材対象者の懐に飛び込んでいく、職業人としての貪欲な嗅覚と瞬発力を持ち、実績や成果を上げてきた。恐らく、今ならコンプライアンスにギリギリかアウトな無茶をするし、時に人にも要求するのかもしれない。もちろん、生き抜くためにそうならざるを得なかった面もあるだろう。
ただ、相澤さんには、ネットやソーシャルメディアに対する意識や関心の点で、ちょっと危ういなと感じることが時々あった。マスメディア畑をずっと歩んできた立場だからなのかはわからないけれど、スマホが使えるとか、パソコンを理解しているといったレベルの話ではなく、今のメディアやコミュニケーション、コミュニティーに対する共感に、実はそこまで深い関心なり理解はないのではないかと、ちょっとした違和感ようなものをどこか感じていた。
メインの2人より相澤さんを目当てに見ていた人たちもいたはずで、不幸にして、彼らの期待も結果的に裏切る形になってしまった。本当は、この辺りを含めてきちんと相澤さんをサポートなりマネージメントできる立場の人が、境さんとは別に、もっと身近なところにいるべきなのだ(付き合ってくれる同級生という存在は、羨ましい気もしますけど)。これは、相澤さん個人がどうこうというより、それをケアできなかったことが本当に残念なのだ。
セルフマネージメントという難しさ
マネージメントという点でいえば、ダースレイダーさんやプチ鹿島さんは、マネージメント会社が付いているとはいえ、個人の名前と顔で活動している人たちだ。だから、個人事業者としての私も、組織人の相澤さんよりは、彼ら2人の立場に感情移入してしまう。
組織に属していれば、マネージャーやコーディネーターがお膳立てしてくれる。一方、リソースが限られた人は、ソロで動くしかないが、全体を見通してセルフマネージメントできる自由度も高い。ただし、リスクはとても大きい。スケジュール管理や成果物のクオリティー、関係者や他の案件との調整など、把握しておかなければならないことや雑務は実に多い。
そしてそれらはすべて、信用に直結している。組織なら、次のチャンスや別の人材がいるだろうが、弱い立場の人間ほど、1回のミスが左右する幅が大きい。ピンで、ソロで活動する人間にとっては、死活問題ではなく、死。それも即死なのだ。
仕事で自分自身に今まで起きたことも振り返ってみた。取引相手から雑な扱いをされたことや、明文化された約束を反故にされたことも度々あった。条件になかった仕事をゴリ押しされたり、『やらせてください!』と懇願するつもりもない仕事を『お前には発注しない』と高圧的な言動をする人や、訴訟に勝っても回収できなかったり…世の中には、いろいろな常識を持つ人間がいた。
私は、いつの頃からか、バカにされることをあまり気にしなくなった。気にしなくなったというより、諦めている。時には、その人が『他者への敬意を、どの程度無視する人なのか?』にも注目している。人は、自分が理解したいようにしか理解しないし、動きたいようにしか動かないのだ。
「ヨルカラナンデス」というイベント(もしくはメインの2人)が『結局、舐められていたんだ』と、プチ鹿島さんが吐き捨てた。相澤さんが本当に、オンラインのライブイベントを、テレビや新聞、週刊誌よりも軽く、下に見ていたのかどうかはわからないものの、あの瞬間は、プチ鹿島さんにそう判断されても当然の行動だったし、彼は悔し涙を流すほど真剣だったのだ。
個人的には、相澤さんがそんなことを考えてはいなかったと信じたい。ただ、セルフマネージメントができずに、アルコールに走ってしまった。その言動のパワースタイルとは裏腹に、非常に弱く、情けない一面を垣間見せてしまった。その甘さがまた魅力なんだけれど…今ですらそう思っているので、返す返すも残念でならない。酒ではない他の理由ながら、何度か(何度も…)いろいろ関係先に迷惑を掛けてきた私としては、こっちにも素直に同情してしまうのだ。
メディアは別モノではなく、レイヤーが分かれてるだけ
メディアの対比なり繋がりで考えると、もちろん、それぞれ優劣や特徴の違いはある。ただ、ネットとマスは、完全に切り離された別物ではなく、レイヤーが分かれているだけで、相互に影響している環境だ。メディアやチャンネルごとの接し方に、区別や強弱はあっていい。根本さえ変わらなければ、演出や表現はむしろ、それぞれに調整すべきだ。オンラインはオフラインの代替ではないし、ネットはマスの2軍ではない。
テレビは、広告費でついにネットに抜かれ、中味も凋落しているとはいえ、未だに圧倒的なパワーをにぎっている。しかし、テレビ番組の一部はオンラインコンテンツの後追いで、安易に尺を使っている始末だし、ワイドショーが垂れ流す有害コンテンツは、アップデートされることがない。新聞にしても、メディアとしての役割を果たさないどころか、ただの政府窓口になり掛かっている。一部の週刊誌とタブロイド紙だけが、何とかギリギリのところで踏みとどまっている。
「メディア酔談」でも、政治とメディアについて語られていたように、このテーマはこれからさらに重要になっていく。私が相澤さんに質問したかったのも、まさにこのこと。その時、見える見えないにかかわらず、公開されるかどうかに関係なく、現場の人や「中の人」たち自身が、自分たちにも常にカメラやマイク、ペンが向いていることを意識すべきなのだ。
何が起きるのかわからない瞬間が人を惹きつける
直接は関係しないが、この件でもう一つ感じていたことがある。それは、『あの番組ほど集中して、緊張感を持って見た番組は他になかった』という事実。
2013年、日本のテレビ放送開始60周年の記念番組で、萩本欽一氏が語った、とても印象的なことを思い出していた。『浅間山荘事件が起きた時、みんな固唾を飲んで、何も起きていないテレビ中継の画面を見ていた。人は、何かが起きていることより、次に何が起きるのかわからないことに、強く惹きつけられるんだとその時知った』という話だった。
今回のイベントも、ある意味『次が予測不能な事件』だった。視聴者の私も、いつの間にか目撃者として、現場に参加する一人になっていた。ポジティブなことを目的に、これほどの集中力や熱量を、狙ってそうできる場はなかなかない(本来なら、「まともな」東京オリンピック・パラリンピックがそうなるはずだったんだよ…)。
坊主と袈裟はできるだけ分けて考えたい
当たり前だが、コンテンツは、確かにその人の言動のある側面を見せているものの、その人と完全に同一ではないのだ。ストリーミングのライブイベントしかり、ブログ記事や書籍しかり、ドキュメンタリー作品しかりで、そこには何らかの意図なり、冷静な他者の編集が常に介在している。
プチ鹿島さんが冷静なのは、『坊主憎けりゃ袈裟まで憎い』とはならず、『坊主の生臭さと、袈裟の素晴らしさは分けている』ところ。もちろん、相澤さんの記者としての洞察力・行動力は素晴らしいし、表に出せる出せないも含めて、取材のストレスは、ご本人が意識していなくても、日々、相当過酷なものだと思う。
この件をネタにして、番組を見てもいない人たちから、相澤さんの活動全体にケチが付くのは本当に腹立たしい。相澤さんならではのアプローチでなければ、故 赤木俊夫さんの奥さん雅子さんやご遺族の信頼を得られなかったのかもしれない。今回、ホッとしたことの一つは、雅子さんからも、相澤さんを気遣う言葉があったということ。助けた相手から助けられることで、よりパートナーシップも強固になったことだと思う。この件についても、引き続き注目しているし、できる支援も続けたい。
だから、今回の件に対して、相澤さん自身がどんな判断を下すのかも、見ておきたくて待っていた。人を動かすのは感情だが、熱と酔いが去った後に、何が残っているのかにも注目したかった。そして、もっとソーシャルメディアを上手く武器にして、活躍してほしい逸材であることには変わりないのだ。
マネージメントできないことを管理するのがマネージメント
自分も日々、他者を落胆させたり、イライラさせているだろうし、どんなに気をつけていても、そうさせてしまう可能性はある。相手の状況を十分理解できずに、ムカついてしまうこともあるはず。一方、そんな私から離れたコンテンツも、独り歩きして、本人とは別のところでディスられているかもしれないし、少しでも評価されているかもしれない。
もし私が、今回と似たような件をマネージメントする立場だったら、一体、どんなことができただろうか?自分自身がしでかしたら?マイナスをリカバーするだけでなく、プラスに変えるためには、この後、何を、どんなタイミングや手法でケアすべきだろうか?防災の日を挟んで、そんなことも妄想してもいた。
自分を対象として、時に厳しく鋭い取材を繰り返して、多面的な姿を冷静に見つめる。できないところは、素直に人に頼るか、優先順位を下げたり、諦めるか…。最も厳しく、愛情溢れる視聴者は、いつも自分自身だということは変わりない。