コロナ後のリスタートで見直すべき広告の新定義

台湾の地下鉄駅構内

新型コロナウイルスで世界が変わっても、広告はこれからも必要とされ続けるでしょう。ただ、新しい秩序に従うというより、広告そのものの定義の、更なるアップデートが不可欠になることは間違いないはず。それは組織や個人と同じかもしれません。最近の出来事に照らし合わせていろいろ考察してみました。

広告がない景色の清々しさ!

福岡は、緊急事態宣言が解除されて、新しい週がスタートしました。公共交通機関の様子は直接は見ていませんが、期間限定だったリモートワークから呼び戻され、出勤する人も少しずつ増えているように聞きます。

実は、中国内陸部のウイルスを原因とする肺炎のニュースを知った時、私は台湾にいました。台湾は初めてでしたが、一つ、とても印象に残ったことがありました。どぎつ目の広告と人々の活気に溢れたアジアの都市特有の姿とは裏腹に、地下鉄の駅構内や車内を日本のそれと比べると、広告が圧倒的に少なかったことに驚いたのです。ステンレスや石、ガラス面が多く露出した様子には、やや冷たく暗い印象も受けましたが、『クドい広告がなければ、都市の風景はこんなにもスッキリとするものなのか!』と、軽く感激すら覚えました。

3月頃から、新型コロナウイルスによる経済の停滞を受けて、郵便受けに無理矢理突っ込まれるフライヤーの量や、フリーペーパーの厚さは、目に見えて減っていきました。私はテレビを見ないので、民放のCMがどうなっているかは分かりませんが、同様の変化がないはずがありません。検索やソーシャルメディアなどオンライン広告にも、かつてない深刻な影響が出ているようです。もちろん、公共交通機関や屋外広告も例外ではなく、もしかすると地下鉄の景色も、台湾ほどではないにしても、少しはスッキリしているのかもしれません。

作って使って終わりの広告に価値はない

私は昔、主に紙媒体の広告を作っていました。その頃は、クライアントや代理店から依頼を受け、成果物を作り、納品して終わり。その後、広告よりもコンテンツ自体を作ったり、クライアントへの提案から関わることになって、現在に至ります。

しかし、いつの頃からか自然と、従来の広告畑とは違う道を選ぶようになりました。便宜上、今でも人に説明するときに『広告を作っています』と短く説明することはあります。誤解や揺らぎは覚悟の上。しかし、自分自身がWebブラウザーに広告ブロッカー機能拡張を入れたり、広告を[X]ボタンをタップして閉じ、YouTubeの広告をスキップするようになって、『自分が使いたくないモノを人に売る』ことからは距離を置くようになりました。「広告屋ではない」道を選ぶしかなかったのが正直なところですが、個人的に広告には今でも、愛着と郷愁、興奮、落胆、期待、諦観、いろいろ複雑な感情を抱いています。つまり、これも愛でしょうね、愛(未練込みの)。

広告を作って届ける側の人ですらこうですから、受け取る側や使う側はもっと敏感に、価値や意味の変化を感じ取っているはずですよね。

ビジネスの種類や規模が違っても

広告と広報との境があやふやになり、広告出稿できる媒体であるペイドメディアと、コーポレートサイトなどオウンドメディア、ソーシャルネットワークなどのアーンドメディアの3つの組み合わせが重要なことも、さらに加速するでしょう。ビジネスの種類や規模が違っても、この基本は共通しています。

3つのメディアの組み合わせ
ペイド/オウンド/アーンドという、3つのメディアの組み合わせはさらに重要に。

広告も人も、存在意義や価値がさらに変わった・変わっていかざるを得ないことに真摯に応え、受け手に役に立つ存在として、新しいスタイルで適応していくことが求められるはずです。


今や、「人」という最大・最強のメディアの移動や接触が制限されていますが、人を突き動かすのがパッションであることだけは、これからも変わりません。元々、なくてもよかったものはこれを機会に減らしたり止める一方、新しく始めたり実は必要だったことは、積極的にリソースを集中させたり、実践してノウハウを獲得していくことが大事になりそうです。