結構いい加減なエスカレーターのマナーをどうアップデートすべきか

年度の切り替えを挟んで、東京へ2度、計10日ほど出張しました。仕事の合間を縫って、いつものように「そこでしか得られない体験の仕入れ」のために、あちこち欲張って動き回ってみたわけです。

東京は、登ったり降りたり、相変わらず、長い距離を歩かせる巨大都市です。来年の東京五輪へ向けてか、あちこちで工事も目に付きました。ベビーカーや高齢者、ハンディーキャッパーには、特にとても過酷な環境です。それらのどれにも該当しない、酷いときには、43歩/日しか歩いていなかったこともあるデスクワーカーにとっても、いきなり2万歩/日近く歩く羽目になる、なかなか過酷な巨大トレーニング施設でした。

実は、エスカレーターの乗り方一つでも、なかなか過酷です。ホームから溢れんばかりの通勤客で埋め尽くされる東京の都心では、我先にとエスカレーターを駆け上がることが(恐らく消極的に)容認されているようです。そうしなければ、あの殺気立った大量の人間は捌き切れないのもわかります。「痛勤」こそが、人の精神と心のゆとりを吸い上げ、定時運行の阻害要因となる人身事故に、ため息や悪態をつくような人間を作っていくんです。

一方、私の地元福岡では、急ぐ人たちのために、エスカレーターの右側を開ける習慣がある程度根付いています。しかし、ここ数年で『歩いたり駆け上がるのはやめましょう』という告知が増えてきました(ラッシュ時には、そんな注意は無視してガンガン登る人が、普通にいるわけですけど…)。確かに、左右両方の列も使えば一度に運べる人数も増え、衝撃による機械のメンテナンス頻度やコスト、人が怪我をする社会的リスクも減るはずです。

この矛盾するマナーが、2時間程度で移動でき、同じ言葉と通貨が使える文化圏で同時に存在していれば、当然のように軋轢を生むでしょう。東京から出張で福岡へ来たサラリーマンは、天神のエスカレーターの右側に立って動かない高齢者がいればイラつくはず。一方、博多から渋谷に遊びに行く観光客は、じっと立っているだけなのに、なぜか後ろから急かさせる圧力を感じて、軽い恐怖を覚えるかもしれません。どちらにとっても、ストレスフルなことに変わりはないです。

エスカレーターに限らず、大都会だろうとニッチなコミュニティーだろうと、場にはすべて、明文化されているとは限らないマナーがあります。「正しさ」はどうにでも変わることを知った上で、マナーからは適度な距離を保っておかないと、「失礼クリエイター」とも揶揄されるマナー講師の商売のネタとして消耗されてしまいます。それどころか、いつの間にか、今度はペナルティー付きのルールにまで格上げされてしまう羽目に。何というエスカレーション!

結局、私はどうしているかというと、東京ではエスカレーターの左側に立ち、福岡では健康のためにできるだけ階段を登るようにしています。移動時間や体力、コストを含んだ「ストレスの最小化」を意識せざるを得ません。しかし、社会コストの最適化で考えると、エスカレーターで歩かないことをルール化するために、なぜ東京五輪を口実に利用しないのか、不思議でなりません。通勤競争という近代競技は、とっくの昔に始まって永遠に続いています。ただ、ゴールは見えそうにないですね :'(