ChatGPTと「雑談」しながら終わった仕事の感想や経験を書いてみた

Z世代の学生さんたちとのコミュニケーション

ところで、高校を卒業したばかりの若い世代とのコミュニケーションはどうでしたか?

当初は、今振り返っても本当にボロボロでした :'(『社会人向けのITトレーニングのメソッドが、全然通用しない!』『デジタルハリウッド(デジハリ)でしゃべっていた頃に来ていた社会人学生さんたちとは、全く違う!』と、いろんなところで感じていました。

私とは、親子以上に離れた世代です。それぞれの興味・関心や得意・不得意を知ったり、速度・深さ・広さを調整するより先に、共通言語を探るところから必要でした。組織の教育担当者や中間管理職、保護者の苦労も、ほんの少しだけ理解できたかもしれません。

それなりに、苦労や苦悩もしてたんですね。

校長には『ね?うまくいかないもんでしょう?』って、よくイジられてましたw とはいえ、新しいチャレンジを楽しんでいたのも事実です。世代で区切るのもちょっとアレですが、Z世代の複数の人たちと定期的に接する機会は初めてだったので、本当に貴重な体験でした。

私自身、失敗したり、最後まで上手くいかなかったことも多かったですが、できたことは素直に自己評価しておきます。学生さんたちにも、言ってきたこととまんま同じですけど 😛

企業の新人教育などでも聞く話です。

そうですね。しかも、デジハリさんの頃と違って、仕事に就いた社会人経験そのものがないわけです。授業料だって、全員が自分で働いて払ってるわけじゃない。やりたいことが何なのか明確になっている人も少ない。その意味では、緊張感は低くなりがちだったかもしれません。

やはり、よくいわれるZ世代的な指向も感じましたか?

Z世代がそうなのかどうかはわかりませんし、私自身、自分が世代で勝手に分類されるのもあまり好きじゃないので、かなり乱暴な印象だという前提ですが…。

『失敗なんてないんだから、学生という立場と学校、私を最大限使い倒そう!』とは、何度も繰り返していました。でも、失敗や挫折を極端に怖がって、先に正解を知りたがる傾向は感じましたね。批評を、批判や個人攻撃だと過剰反応しがちな人も。なので、あくまでも楽しく繰り返しながら、いろいろな経験をすることを常に意識していました。

ただ、危機感が薄かったり、チャレンジするマインドの低さを糾弾する気にはなれません。

それは、どうしてですか?

彼らがそう教育されてきたからです。物心ついてから、凋落する一方の社会の状況しか知らないわけです。いろんな先の状況が見えてしまっている(と思い込まされている)中で、リソースやリスクは自己負担せよ、失敗しても全て自己責任だというのは、厳しいと思います。

昨今、本当にくだらない校則の問題がようやく指摘されるようになりました。しかし、義務教育では、従来からの組織のルールを疑わず、それに従って、個性は許可された範囲でだけ、求められるように出すことが求められるわけでしょう?

まして、専門学校はわずか2年間。

そう。4年生大学で例えると、1+2年ではなく、1+4年なのだと感じました。この2年間で、付き合う周囲の人たち、時間の使い方、人によっては住む場所まで、大きく変わるわけです。何だかよく分からず激変する環境に翻弄されながら、ガクチカ(学生時代に力を入れたこと)アピールで「盛り気味」のエントリーシートを書き、連日のリモート就活に臨むのは、かなりストレスフルだと思いますよ。

上手くいかなくても当たり前ですし、それを受け止められないのは、そうなるように仕向けてきた私たち上の世代ですから。

「日本の高等教育が直面する課題」的な風呂敷

一般の専門学校の状況については、何か感じることはありましたか?

何年も前ですが、博多地区の町おこしイベントで他校も含めた接点がありましたが、現状はどうかわかりません。ただ、福岡という都市は、『東京は不安だけれど、福岡だったらいいか…』という消極的な妥協として、大学や専門学校が選ばれる現実は、今もあると思います。

なるほど。広島の高校生で、東京ではなく大阪の学校へ進学する生徒もいるとも聞きます。

そうですね。福岡に限らず、地域の専門学校を選択する若い世代や保護者たちは、保守的な意識が強いような気がします。福岡の博多駅や天神地区の学校の場合、実際に九州各地や西日本の学生が集まってきていますし、そこへ新型コロナウイルスのリスクも影響して、遠隔地への進学を心配した保護者や本人もいると思います。

これも先ほどの、保守的なマインドに通じるんですかね?

日本の労働環境は、未だに4月の新卒一括採用だったり、解雇が制限されて雇用の流動性が低いですよね。労働環境が変わらないのに、学校だけ変わるわけにいかないのは当然でしょう。

学校法人にしても、ビジネスを成立させていく以上、就職率や就職先をアピールしなければならなりません。しかし、全員が同じようなリクルートスーツと髪型に身を包んで、「社会に出る」というより「会社に入る」人が「製造されていく」ような現状が、果たして本人たちや、もっというと日本社会にとって、本当にいいことなのか私にはよくわかりません。

ところで、社会人のリスキリングやリカレントが叫ばれる昨今ですが、高等教育の現場から見てどうなんですかね?

さっきから、ChatGPTが苦手な、日本の今の話に持っていこうとしてますよね?w この2年半、教育関係のWebサイトや書籍を読み漁った程度ですし、日本の高等教育の現状を語れるほど理解していません。

ただ、一般論として感じるのは、仕事ですぐに役立つスキルを学ぶことが望まれている雰囲気です。労働生産人口は減る一方で、どこも人手不足ですし、過去には『大学を専門学校化するな!』などとまで言われていたのが、今や『役に立つ研究成果にしか金を出さない!』ですからね。

映画が早送りで見られたり、コスパよりタイパ(タイムパフォーマンス)が求められる時代です。

そうなんです。でも、仕事ですぐに役立つスキルを学ぶことは、課題を発見して研究する高度な教育とは相容れないと思いませんか?簡単に手に入るモノは、すぐに使えなくなるもの。社会の変化に対応するためには、実践的なスキルと問題解決能力、創造力などを兼ね備えた教育が求められているんだなってことは感じます。これは、全ての現代人の課題ですけど。

雇用形態や労働環境の流動化も指摘されています。

確かに、日本特有のメンバーシップ型から、グローバルスタンダードのジョブ型へと、少しずつシフトしています。しかし、働きながら学びたい人たちのバックアップは不十分ですし、自分自身で本当に学ぶことが必要だと気付いた時の、アクセシブルな教育システムもありません。そもそも、他者とは違う選択をしたり、失敗したときの再チャレンジの手段が限定的な社会で、すべての負担や責任を個人に求めるのは厳しいと思うんです。